千葉県印西市で、責任世代の人が野のへらぶな釣りを通じて心を整え、自信を取り戻す応援をしています

一度立ち止まる「床休め」は決して無駄ではない

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川面に写り込む木

この記事は、アラフィフ世代で転職、管理職になった私が、仕事の重圧や上司のパワハラで心が壊れそうになった時、休む(一旦立ち止まる)ことによって生き方を変えることが出来たというお話です。

今私と同じような状況で、抜け出せず辛い思いをしている方が、気持ちを切り替えるきっかけになれば幸いです。

あなたはこんな思いの中にいませんか?

管理職に任命されたが、

  • 仕事の重圧
  • 膨大な業務量
  • 役員からの厳しい指摘や叱責
  • 他部門の管理職からの圧力部下からの突き上げ

などで最近、不眠、動悸、頭痛、体の怠さが酷くなった。

辛くて、もう逃げ出したい!

と日々思うが、住宅ローン子供の教育費を確保するため、仕事を辞めるわけにもいかない。

どうすればいいんだろう?

悩みを抱える50代ビジネスパーソン

これは、4年前に私が実際経験していた状況です。

そんな私が、今も同じ会社で働けているのは、勇気を持って、

一度立ち止まる

という決断を下すことが出来たからです。

もしそれが出来ていなかったら、今私は世の中に存在していなかったかもしれません

目次

立ち止まる前の日々

4年前の私は、今の会社に転職してまだ僅か1年。心身の不調があっても、立ち止まることが出来ませんでした

自分の中で、

「環境が変わったからといって、ほんの1年も我慢できないような自分は、上司や同僚から、弱い人間として見下されるのではないか?」

「管理職の立場で、チームを引っ張っていかねばならない自分がこんな状態では、誰もついてこないのではないか?」

と、恐れを抱いていました。

そして、以下のような葛藤を抱えながら毎日悶々としていました

  • 管理職として部下に模範を示さなければならない
  • 部下や同僚の前で、自分の弱さを曝け出してはいけない
  • 万一長期間休んでしまったら、会社に迷惑を掛けてしまう
  • 仕事が出来ない人間として会社からの評価が下がってしまう
  • 評価が下がれば給与が下がり、家族に迷惑を掛けてしまう
  • 転職したくても、30代の同僚のように、簡単に転職先が見つからない

だから、辛くても我慢して働き続けなければ・・・

孤独感

ですが、今振り返ると、これらのことは、私だけが感じていたことではないのかもしれません。

というのも、この4年間に、恐らく100人以上の同僚や部下達がこの会社を去って行ったからです。

短い人だと、1年も持たずに退職する人もいました。

それも、当時の全社員数はほんの150~160名でしたから、極めて高い離職率です。

退職していった方々も、きっと私と同じような気持ちを味わい、

「何とかしてこの劣悪な環境から逃げ出したい!」

と、必死で転職先を探していたのでしょう。

ですが、私の場合、他の方々とは別の道を選択しました。

正確には、選択したというより、それしか選択肢が無かった。と言った方が良いかもしれません。

転職した時点で既に49歳だった私は、経営陣も含めて上から5本の指に入るほど、年齢が高いグループに入っていました。

それだけ、この会社の社員の平均年齢が若いということです。

ですから、他の社員のように、これからまた転職、という選択肢は、私の場合は年齢を考えるともう無理だろう、と思ったのです。

それも、今の会社に入社してわずか1年何の実績も残せていない自分のような人間を、今と同じ待遇で採用してくれる会社などありえない

そう思って諦めていました

だから、家族を養っていくためにはこの会社にしがみついているしかなかったのです。

ですが、業務環境が変わらない中で、私の我慢は長くは続きませんでした。

長時間のデスクワークの無理が重なった結果、2021年2月に腰を患い手術とリハビリのため2か月の長期欠勤

回復してようやく業務に復帰できたと思ったら、今度は心が耐えられなくなって、2022年7月に、適応障害と診断され2か月半の長期欠勤

結果的に、自分が恐れていた、長期間仕事から離れざるを得ない状況に陥ってしまいました。

長期欠勤期間中の心の動き

私の2回目の長期欠勤期間中には、時間の経過と共に、幾つかの心の状態の変遷を経ました。

そして現在の、自分らしい生き方の実現を目標に置いた考え方が出来る素地が出来上がりました。

欠勤期間が始まった直後

仕事の重圧と、パワハラ上司から遮断されたことで、それまで日々感じていた不安、焦り、緊張感から解放され、気持ちが少し落ち着きました。

しかし、自分がプロジェクトマネージャーとして先導していた重要プロジェクト(この案件が入社早々からずっと苦悩の原因でした)が、自分の不在中にどうなってしまうのかが不安でした。

そして、上司や同僚から仕事の問い合わせのメールや電話が掛かってくるのではないか?

という不安もありました。

人事部責任者から、

「欠勤期間中は業務に関わるメールは一切こちらに送信しないように処置を取ってあります。」

との連絡をもらい、ようやく仕事のことを考えないで済む。
と安堵しました。

欠勤期間開始1か月後

依然としてモヤモヤを抱えていました。

日中仕事をしていた毎日から解放されるという大きな環境の変化によって、様々な不安が頭の中で複合的に絡み合い、一人でいくら考えても安心できる解決策が見つからない。そして、焦燥感で常に不機嫌な状態になっていました。

会社の業務時間が空白の時間になり、以前は妻から当てにされていなかった家事や突発的な用事をお願いされるようになりました。

すると、これまでの自分をじっくり振り返るための自由な時間が細切れになり、気ぜわしい状態になりました。

私は、自分の頭の中で立てていた予定の時間帯に、他人から急に用事を言いつけらたり、元々決めていた計画を突然変更されて別の用事を入れられてしまうことに対して、とても不快感を感じるタイプなので、

休養を取りなさい、と心療内科の主治医から言われているのに、何故余計な用事を入れてくるんだ!
こんな毎日じゃ、全然落ち着かないじゃないか。

と、内心腹立たしく感じていたため、どうしてもそれが表情に出てしまっていたようです。

このため、妻からは、

何でそんな不満そうな顔をしているの!私何か悪いことでも言った?

と言われ、更に私のイライラが悪化し、険悪な雰囲気になる日もありました。

仕事をしないで家に居る=給料が入らなくなる

有給休暇を使い果たした後は、勤務しない日は勤怠上「欠勤」に切り替わります。

すると何が起きるかと言うと、欠勤した日数分、給与が減額される、という状況になります。

会社や産業医、主治医からは、「ゆっくり休んでください。」と言われても、欠勤期間が長くなるほどどんどん給与が減額されて行くとなると、言葉通りにゆっくり休んでいるなど出来ません。

常に、家族に迷惑を掛けていることに罪悪感を感じ、無給期間を出来るだけ短くするため、

早く仕事に復帰しなければ!

焦りが生じてきます

すると、ふがいない自分に腹が立ち、ちゃんと出来なかった自分をどんどん追い詰めてしまいます

会社から給与明細が郵送されてきたのを見て、1か月分まるまる給与支給額が0円になっているにも関わらず、社会保険料はいつも通り天引きされるので、総支給額がマイナス(つまり会社にお金を払わなければならない!)になっていた時は、大きなショックを受けました。

後に、申請をすれば、健康保険組合から傷病給付金という形で給与の2/3の金額までは支給されることを知り、少しホッとしたものの、それでも残り1/3の金額は減額されるというのは、我が家のような子供の教育費と住宅ローンの重い負担を抱えている家庭にとっては大きな痛手でした。

今の仕事や職場の環境が自分には合わないことを分かっていながら自分の本音から目をそらしてきたことを再認識

欠勤期間が終わり、更に業務に復帰出来ない状態が継続すれば、次の段階は「休職」となります。

ですが、先ほど述べたように、給与が入らない、という家計へのダメージを考えると、いつまでの休んでいる訳には行きません。

そうなると、転職という選択肢が自分にはない、という認識だった私が取りうる唯一の選択肢は、「復職する」の一択です。

ですが、仮に復職したとしても、これまでと同じ部署、同じ担当業務に戻されれば、適応障害になった原因が何も解消されません。

今の仕事や職場の環境は自分に合っていない訳です。

そうなれば、一旦回復したとしても、ほぼ間違いなく同じ症状を再発してしまう。

でも、経済的理由から、今の会社は辞められない。

自分はどうすればいいんだ・・・

という思考の堂々巡りとの闘いの日々でした。

50代で管理職を全うできず、メンタルを病んだ履歴のある自分は、転職活動をしても採用してもらえないだろう。ましてや未経験業種など論外。という絶望感

私の場合、そもそも自分が仕事をする業種、職種共に、自分には向いていないのではないか?という疑問を持っていたため、未経験業界、業種での転職についても調べていました。

ですが、50代の転職は、管理職経験や、同業界での経験や実績を期待しているという採用する側の思惑を考えれば、未経験業界、未経験職種で現状と同じ待遇で転職してもらおうなどという虫のいい話など、まずないといった方が良いでしょう。

逆に、「誰でもいいからうちの会社に来てくれ!」などと言うのは、離職率が高くて人手不足のブラック企業位なものです。

そう考えると、自分のような、50代、管理職失格、適応障害になった経験があるという人間が、今の職場より条件のよい会社に転職するなど、ありえない。

調べれば調べるほど、この休みが終わったら、またあの劣悪な職場に戻って苦痛の毎日を耐え続けるしかないのか、という絶望感で、鬱々としていました。

「アラフィフおやじの一人鉄道旅」構想が思考の転機に

私は、2022年7月から、noteという、クリエイターが文章や画像、音声、動画を投稿して、ユーザーがそのコンテンツを楽しんで応援できるメディアプラットフォームに、自分の気持ちを整理したり、将来の起業に向けた情報発信のトレーニングとして記事を書いています。

あるnoterさん(noteに記事を書いているクリエイターの事を、会員の皆さんは「noterさん」と呼んでいます。)の記事に書いてあった、

「自分にとって楽しいことを毎日3つ挙げることを習慣にすると、前向きな考え方が出来るようになってくる」

「それに伴って、自分の周りにも良いことが起きるようになる。」

という言葉をきっかけに、やりたい事リストを作ろう!
と考えました。

私にとっての、やりたい事の筆頭が、

「アラフィフおやじの一人鉄道旅」

一人鉄道旅

だったのです。

そして、妻の後押しもあり、旅を決行。

学生時代以来、27年ぶりの一人旅。

8日間、一人ひたすら列車を乗り継ぎ旅をする中で、車窓からの景色を眺めながら、会社員になってからの四半世紀強を振り返りました。

この27年、会社員として頑張ってきたが、その仕事は本当に自分が心から楽しいと思ってやってきたことなのだろうか?

そう自分の正直な気持ちに問いかけてみました。

そして、自分の本音を強く実感したのです。

「今までやってきた仕事は、自分が心から楽しいと思うこと、ワクワクすることではなかった。」

それは、他人から

「あなたはこうあるべき人間だ」
「だからこの学校に入学し、この会社に入り、この仕事をすべきだ」

という意識を幼少の頃から植え付けられた結果、

知らない内にあたかも自分が初めからそうなりたかったかのように、自分の夢をすり替えられていた

と気が付いたのです。

そして、本当にやりたかったことは、

競争の世界を下りて、自分がワクワクする、未知なることへの好奇心を満たし、自分の考えに共感してくれる人との繋がりが持てる仕事

春の亀成川の夜明け

でした。

そして、これからは今までの、

「現業に忙殺され、充実感を感じず、不安と苦痛に耐え続ける毎日」

から抜け出し、

「自分らしい生き方を実現するために必要な準備を進めると共に、そのために必要な時間を作り出すんだ!」

そんな決意が湧いてきました。

このような心の持ち方が出来るようになったのはまさに、

「勇気を持って立ち止まる」という選択をしたからだと思います。

「床休め」で転機が訪れる

床休め

私の大好きな、野のへらぶな釣りには、「床休め」という言葉があります。

床休めの目的はエサ打ちを一定時間休むことで、エサが無駄に拡散することによって汚れた地底を綺麗にし、一旦リセットすることで傍に居るへら鮒に改めてエサの存在を気づかせようというものです。


もちろん近くにへら鮒が居なければアタリは出ませんが、何となく気配はあるのにアタリが出ないときにはかなりの高確率でアタリが出ますし、実際に釣れることも多いのは過去の経験から分かっています。

「釣技最前線」第53回 萩野孝之を虜にするスリリングな野べら釣り|へら鮒天国

この床休めは、あなたや私のようなアラフィフ責任世代の会社員にも当てはまる手段だと思います。

盲目的に会社からの無理難題に応え続けようとすると、
心の余裕がなくなり、頭の中には様々な問題が堂々巡り。

すると、パニックに陥り解決策が思い浮かばなくなってしまいますよね?

それが、今後のあなたの生き方を左右する問題であれば、余計に複雑に考えてしまうでしょう。

そんな時は、床休め(一旦立ち止まる)。

そうすると、しっかり自分を見つめ直すことが出来るようになり、
無駄に数々の問題が拡散し、ごちゃごちゃになった頭をリセットできます。

そして、今まで自分でも気付かなかった、或いは気付いても後回しにしていた自分の本音に気付くことが出来るかもしれません。

是非あなたも、勇気を持って床休めをし、フレッシュな頭で自分らしい人生の実現への一歩を踏み出してみませんか?

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