この記事は、「自分はもう、会社から必要とされていないのではないか?」と悩んでいるアラフィフ世代の会社員の方向けの記事です。
あなたはこれまでの長きに亘る会社人生において、自分の熱量が上がる仕事に巡り合ったことはありますか?
例えば、深夜残業や休日出勤、徹夜をしてまででも気力が充実していて頑張れた仕事。
私の場合、振り返ってみると30代の10年間は、キツイながらも仕事を覚えることにワクワクし、熱量が上がっていた時期でした。
寝る間を惜しんで検討を行った課題、新たな市場への参入に向けた準備作業、自分に運用の裁量を与えられた企画の遂行・・・。
大変なことも沢山ありましたが、今思うとやり甲斐があって、自分が成長していることが感じられ、とても充実していました。
熱血サラリーマン全盛期
当時はテレビを見れば、有名な肉体派の俳優たちや、トレンディドラマ※に出演していた俳優たちがエナジードリンクのCMで、昼夜を問わずバリバリ働く熱血社員や、躍動感のある筋肉美を見せつけるようなシーンを演じていました。
※トレンディドラマ:主に1980年代後半から1990年代前半にかけてのバブル景気の前後に制作された日本のテレビドラマの一部を指して使われる言葉で、都会に生きる男女の恋愛やトレンドを描いた現代ドラマ。
出典:ウィキペディア
例えば、
24時間戦えますか~♪ ジャパニーズビジネスマン
とか、
ファイト~一発!!
など・・・。
私が30代の頃は、そんな風に猛烈にハードワークをこなすのが、会社員の美談とされていました。
かつて若い世代の会社員達が、ここまで仕事に情熱を傾けられたのは、頑張って働けば出世できる。出世すれば良い給料がもらえる。良い給料が貰えれば、豊かな暮らしが出来て、勝ち組として社会的ステータスが得られる。
という希望があったからだと思います。
しかしながら、1990年にバブル経済が崩壊し、いわゆる「失われた30年」の時代に生まれ、良い時を知らずに大人になった今の若い世代の方々にとっては、自分のプライベートを犠牲にしてまで会社に尽くす人生などまっぴら御免だ。
という考え方の方が一般的ではないでしょうか?
ですから、私達アラフィフ世代が若手の時代に経験したような、ある意味「会社の奴隷」と思われるような働き方をさせたら、ブラック企業の烙印を押され、若手社員は直ぐに会社を去ってしまいますよね。
私達アラフィフ世代が、「自分達の若い頃は・・・」なんて話を始めると、後輩たちから煙たがられてしまいそうですが、今の世の中にも、
残業をしてでも、もっと沢山の仕事を覚えたい
自分のキャリアビジョンを達成するために、もっと実務経験を積みたい
という考え方を持っている若手社員が、きっと存在すると思います。(昔に比べたら少数派なのかもしれませんが・・・。)
部署異動が、自分がどんな形で会社に貢献できるか考え直すきっかけに
私達アラフィフ世代の会社員が、現在の会社での自分が置かれた状況を考えた時、こんな風に感じることはありませんか?
- 年を取ったせいか、最近のITシステムや技術革新のスピードについて行くのが辛くなってきた。
- 次々と新しくユニークなアイデアを発想できる優秀な若手の後輩達と比べ、自分の能力の低さに負い目を感じる。
- もう今の会社には、自分が貢献できることなどなく、必要とされないのではないか?
これは、今の部署に異動となる前に、私自身が感じていた不安です。
しかし、今はちょっと考え方が変わりました。
それは、部署によって求められる知見や役割が異なるのだ、ということを、異動を通じて実体験したからです。
移動前の部署が担っていた役割は戦略事業の開発、つまり、3年~5年、更には10年以上先の新しいビジネスの種まきをすることでした。
このため、現時点で出来ることや、スタンダードになっていることではなく、まだ誰もやったことのないことや、他より一歩も二歩も先を行く、まだ先行きがどう転ぶか予想することも難しいようなテーマを扱っていたのです。
このような場面では、常にビジネスの最先端のトレンドに敏感で、ゼロから1を作り出すようなユニークで柔軟な発想が出来る人材が求められます。
私はそのような特徴を持つ部署の中間管理職として、何とか結果を出さなければ!と思いながらも、自分では何をどうしたらいいか分からず、部下に対して適切な指示も出すことも出来ませんでした。
自分の苦手な分野にも関わらず、自分の役職に求められる役割を果たさなければならない。という義務感と、それを満足できない現実の間でもがいていたのです。
今思えば、もっと若手の部下に仕事を任せ、柔軟な発想でアイデアを提案してもらえば良かったのでしょうが、当時は自分が先頭に立って、アイデア出しをしなければならない。
そのように、視野が狭くなって周りが見えなくなっていたのだと思います。
このような無理をした状態(更に、上司のパワハラの影響が状況をより悪化させた)を長く耐えられるはずもなく、その後私は心が折れて、適応障害と診断され、2か月半の間、会社を休む結果となりました。
その後幸い精神状態も良くなり、復職することとなったのですが、状況が大きく好転したきっかけの一つに、配置転換による所属部署の異動があります。
私はこれまで、前々職、前職と一貫して技術職として会社員人生を歩んできました。
配置転換前の部署での仕事は、唯一技術と全く無関係の役割を担うポジションを担当させられたのですが、これが私の資質とのマッチングが良くなかったようです。
それが幸い、配置転換後の部署が技術部門ということで、
- 既に自分達が作り上げたものを日々運用していく行う上で発生する課題の解決
- 確立した手法に基づく調査検討、分析結果に基づき、着実に前に進めて行く事業
を扱うため、仕事の進め方や物事の考え方が自分の経験からも理解しやすいものでした。
このような課題に対しても、従来通りの考え方だけで解決するものばかりではなく、新しいものの考え方も勿論必要です。
しかしながら、このような課題の解決には、過去に経験した失敗事例や、問題をどのように解決したか、という点、つまり、これまで積み上げ、蓄積されたノウハウという基礎の上に新しい手法を取り入れていくことが不可欠と思います。
そこで求められるのが、長年様々な種類の経験を積んできたベテラン人材ということになるのではないでしょうか。
人によって得意な仕事、好きな仕事のタイプは異なるため、断定することはできませんが、例えば私のようなアラフィフ世代の社員の場合、
「新しいものを発想する能力」
よりも、
「約30年の会社員経験で蓄積された知見や失敗談」
を共有することが、会社への貢献につながる、と実感しています。
今は、自分が若い頃や、前職で実務を通じて習得した知見をもう一度整理し、部署の同僚、後輩たちが実務を行う上で参考になる情報を共有することに時間を割いています。
温故知新の野のへらぶな釣り
私の大好きな野のへらぶな釣りは、経験がものをいう世界です。
確かに、10代、20代という若い方でへらぶな釣りを趣味にされている人もいますが、恐らく、ルアーによるブラックバス釣りや、食べられる魚をターゲットにする海釣りが趣味、という釣り人の数に比べると、非常に少ないと思います。
一方、野釣りを楽しむへら師の方は、感覚的に、40代、50代より上の世代、それも既に会社を定年退職され、毎日悠々自適に釣りを楽しんでいる、65歳以上の方々が大半を占めている、というのが私の印象です。
そして、この人生の大先輩方は、釣りの上手な人がとにかく多いです。
その根源は何といっても、「経験の多さ」です。
長年へらぶな釣りを続けて来られたことで、各年代に流行となった釣り方、季節や天候に応じた対処法、時代の流れと共に変わってきたへらぶな達の捕食習性など、様々な経験を積み重ね、どうすれば釣れるか?を場数を踏んで体得してきた蓄積があります。
若いへら師の方でも釣りが上手な人は居ることにはいますが、その年代の釣り人全体を見た時に、平均的に釣りの技が達つのは、圧倒的に経験年数の多いシニアのへら師の方だと思います。
近年、へらぶな釣りをする釣り人の数は、釣り場の減少や高齢化のため、かつての全盛期に比べて減少の一途をたどっているようです。
ですが、日本の伝統的な釣りである「へらぶな釣り」という文化を、若い世代の人達にも是非受け継いで頂きたいものです。
野のへらぶな釣りには、会社のように定年は有りません。
長く続けているへら師は、何十年もの間、へらぶな釣りに情熱を傾け、人生を謳歌しています。
そして、「貴重な生き字引」です。
生涯現役でいられる世界って、素晴らしいですよね。
あなたも、今一度、これまで長年自分が積み上げてきたことで、仲間の仕事の助けになるものがないか、振り返ってみては如何でしょうか?
若い頃に熱量を上げて懸命に働いて得た何かがきっとあるはずです。
「自分は会社にとって必要な人間なんだ!」
という自信と誇りを取り戻しますように。