昭和生まれ世代の私達は、子供の頃からずっと、様々な競争を勝ち抜けば、その先に幸せな人生が待っていると信じて、ずっとがむしゃらに走り続けてきました。
しかし、会社での理不尽な扱い、出世の限界、役職定年が見えてきた50代。あなたは希望通りに幸せな人生を送れているという満足感、充実感に満たされた生活をしているでしょうか?
この記事では、これまでの生き方で本当に良かったのか。これからの人生をどう生きていけばいいかについて疑問や葛藤を抱いている方向けに書かれています。
「勝ち組」は永遠には続かない
私と同世代のあなたは、子供の頃、親や先生、周りの人達から、こんなことを言われ続けてきませんでしたか?
「一流大学を卒業し、一流企業に入社し、会社で偉くなって裕福な暮らしをしている人達は人生の勝ち組」
しかし、競争に勝ち抜いた上で得た裕福な暮らしは人生最後の日までずっと続くものでしょうか?
仮に競争に勝ち抜き、誰もがうらやむような社会的地位や暮らしを手に入れたとしても、その状態にあぐらをかいて、何もせずにその地位を保ち続けることはできません。
その水準を維持し続けるためには、ずっと競争に勝ち続けなければなりません。
例えば、あなたが血のにじむような努力をして、一代で財を成し、東京都心の新築タワーマンション最上階の部屋を手に入れたとしましょう。
そこに住んで暫くの間は、自分は人生の勝ち組だ!と優越感に浸れるかもしれません。
しかし、それで終わりではありませんよね。
例えばあなたが私と同じように既婚者で、お子さんのいる方だった場合。
そこで裕福な暮らしを続けるためには、高額の維持管理費、車を維持していれば駐車場代、固定資産税、物価の高い都心のスーパーで食材や日用品を購入、子供を一流の学校に通わせるための塾代や私立の高校、大学の学費・・・
これらの多額の費用を賄えるだけの収入を得続ける必要があります。
また、あなたの隣の部屋に入居した家族がもっと贅沢な暮らしをしていると知れば、優越感は一瞬で打ち砕かれるでしょう。あなたは競争に負けたという気持ちになるかもしれません。
そして今の暮らしに満足できなくなり、もっと上を目指して再び他人との競争の世界に引きずり込まれる、その繰り返しです。
誰にでも、いつか必ず負ける時がやってくる
金品、地位や名誉を持つ事を価値と捉え、他人と比べる人生を送る限り、あなたは常に競争環境に晒され続け、いつか誰かに負ける日がやってきます。
世の中、自分よりも裕福な人、才能の有る人、スポーツが出来る人・・・、そんな人達は幾らでも居ます。
例え運良く頂点に立つことが出来たとしても、時間が経過すれば、いつかその座を次の世代の誰かに奪われる時がくるのです。
例えば、スケールが大きすぎて、自分の生活とは全く別の世界の話。と思うかもしれませんが、極端な例として世界長者番付を見てみましょう。
世界的に有名な経済誌の一つ、フォーブス誌が2023年4月4日に発表した、2023年版「世界長者番付・億万長者ランキング」によると、上位3位までの順位は以下の通りです。
1位:ベルナール・アルノー氏(「ルイ・ヴィトン」等を扱うLVMHグループ会長兼CEO)総資産額は 2,110億ドル(約27兆8,500億円)
2位:イーロン・マスク氏(テスラのCEO、X Corp.の執行会長兼CTO)総資産額は1,800億ドル(約23兆7,600億円)
3位:ジェフ・ベゾス氏(Amazonの創業者)資産額は1,140億ドル(約15兆500億円)
※カッコ内は、発表された当時に近い2023年3月頃の為替レート(約132円)で計算した場合の日本円換算金額
ところが、2024年3月6日、ジェフ・ベゾス氏が、フォーブスのリアルタイム長者番付で一時イーロン・マスク氏を抜いて「全米一の富豪」となりました。
更にそのわずか数分後、マスク氏はその座を奪い返しました。
このように、頂点に昇りつめたような人物達であっても、様々な状況変化によって、一瞬にしてその座を誰かに奪われてしまうのです。
また、スポーツの世界でも同じです。
オリンピックの様々な種目において、世界最速のタイム、世界最高の飛距離等をたたき出したアスリートが居ても、数年後にはより若い世代の別のアスリートによってその記録は塗り替えられてしまうことは、歴史が物語っています。
このような競争は、より身近な私達の人生においても状況は同じです。
若い頃、仕事が出来ると上司から太鼓判を押され、同期の中でも出世頭で、平社員から主任、係長、課長、・・・
とんとん拍子に出世の階段を駆け上ってきたあなた。
そして、働き盛りの30代、40代は、家族や自分の時間を犠牲にし、毎日深夜まで残業、終電帰りの早朝出勤の猛烈社員でした。
ですが、50代になって、ふと我に返ると、出世のピラミッドは頂点に近づくにつれてどんどん評価が厳しくなり、どんなに頑張ってもこれ以上の出世は期待できない。という天井の存在に気が付きます。
そして後ろを振り返れば、40代、30代の気力・体力に溢れ、出世したくてギラギラしている後輩たちがあなたの背中に追いつき、追い越せの勢いで迫ってきています。
役員のポジション、そして頂点である社長になれるのは、ほんの一握りの社員。
大抵の人はそこにたどり付くことなく、せいぜい部長止まりで足踏みをしながら定年を迎えます。
競争に勝ち抜き続けたあなたも、ここで負ける日が来たことを実感するのではないでしょうか?
競争に勝ち続ける人生に虚しさを感じた瞬間
私は物心ついた頃から、母親に「良い学校に入り、良い会社に入れれば人生安泰」と言われ続け、知らぬ間に他人との競争に勝ち続けることを求められる人生を歩んできました。
親が入って欲しい大学に進学し、当時は安定企業の代名詞だった業界最大手企業に入社、会社では常に競争を勝ち抜き出世することを目標に生きてきました。
しかし、入社15年目の年、自分にはコントロール不可能な自然災害により会社は甚大な損害を受け、信用も地に落ち、かつて思い描いた暮らしが出来なくなりました。
まさか自分のいる会社のような大企業が、こんな運命をたどるなんて・・・
この瞬間から、私は競争に勝ち続ける人生に虚しさを感じるようになりました。
自分と他人を比べる人生を送ると、常に競争に勝ち続けなければならない日々から抜け出せず、満足感を得ることはできません。また、自分の外の世界、他人の事は、自分の思い通りに操ることはできません。
あなたはあなたの人生を生きよう
そもそも生い立ちや環境、理想とする生き方も異なる他人と比べること自体、無意味なことです。あなたとは、スタート地点も違えば、目標とするゴールも違うのですから。
だから、「自分はあの人よりも劣っている」などと考える必要はありません。
他人の評価を気にして生きるよりも、以下の点をじっくり考え、まずはそれを文章に書き出してみましょう。
- 自分がいつまでにどんな生活をしたいのか。
- その目標に対して、今の自分はどんな状態なのか。
- 目標と今の自分の位置のギャップは何か。
- そのギャップを埋めるために、いつまでに何をしなければならないのか。
これはあなたらしい人生を実現するためのロードマップです。
そして、なりたい自分になるための行動を日々積み重ねる。
比べる相手は、過去のあなたです。
明日、1週間後、1年後、・・・という未来にどれだけ自分が成長したかを実感する方が、心豊かな人生を送れるのではないでしょうか。
野のへらぶな釣りは自分と向き合う時間
私が大好きな野のへらぶな釣りでは、人との競争に勝つことよりも、過去の自分よりも成長した自分を実感することで達成感、充実感を得ています。
ヘラブナ釣りの世界にも、競技というカテゴリーが存在します。一般的に、トーナメントと言われるもので、日本各地のヘラブナ釣りの管理釣り場で開催されています。
中には、全国の予選を勝ち抜いたへら師達が参加する有名なトーナメントもあり、その大会で優勝すると、チャンピオンとして釣り具メーカーやエサメーカー専属のフィールドテスターや、インストラクターとして起用され、プロアングラーとして有名になる方もいます。
また、このような大会以外でも、管理釣り場ではへらぶな釣りの会に入会すると、各団体が「例会」という、会員同士が集ってへらぶな釣りをするイベントを定期的に行っていたりします。
この例会でも、参加者同士が決められたルールの下で、制限時間内にどれだけ多くのへらぶなを釣ったかを競います。
私はこのようなへらぶな釣りの会には加入していません。
経済的に難しいから、という理由もありますが、それ以外にも、毎回会員間で競争をし、そこからテクニック自慢、道具自慢・・・に繋がっていく雰囲気、そして、会の代表者やベテラン会員達に気を遣わなければならないことが煩わしいからです。
私が好きな野のへらぶな釣りは、自然の川や沼といった、釣り場の運営者の都合で決められたルールに縛られることなく、他人との競争に巻き込まれることなく自由に釣りをするものです。
勿論、へらぶなが釣れた方が楽しいに越したことはないですが、自然相手の釣りですから、季節や天気、その他さまざまな条件のために、1枚も釣れないことや、アタリすらもらえないこともあります。
それでも何年間も飽きずに続けていられるのは、毎回釣りをしている時に、「今その瞬間」を楽しんでいるからだと思います。
水面の浮きの挙動にじっと目を凝らし、心の中で、「この1秒後に浮きが動くかもしれない」というワクワクが連続している。
その瞬間の連続を我に返って振り返ると、数分が経過している。
そしてまた次のエサを、自分がエサを投入したい位置に向かって振り込み、浮きの挙動に目を凝らす。
この連続の中に、ときに期待通りに浮きが動き、タイミング良く自分の右手が反応して合わせを入れ、へらぶなが釣れる。
この経験で得られた知見、体感した魚の動きや重さ、自分が竿をコントロールする動作・・・
そういったものが、自分の釣りの技術の向上や、ある状況下にどう対応するかの引き出しの一つになっていきます。
数多くの経験を積めば、次の釣りが更に面白くなる。
そこには他人に勝たなければならない。という焦りや、人より劣っている、という屈辱感は一切ありません。
他人との競争を意識するのではなく、今この瞬間を純粋に楽しむ。そして過去の自分からの成長を実感する。
人生もそんな風に生きたいものです。